女性の遺体が盗まれる!?猟奇的な事件に発展した昭和初期の「坂田山心中事件」とは? (2/3ページ)
この事件、単なる心中事件……ではありませんでした。
心中に至った二人と、恋のいきさつ事件の中心となるのは、二人の若い男女です。
女性は湯山八重子という人物で、静岡県駿東郡富岡の素封家(そほうか:大金持ち、資産家、財産家)の三女です。富岡小町と呼ばれる美人だったとか。男性は、調所五郎(ずしょごろう)という人物で、華族・調所広丈の孫でした。
当時、湯山八重子は東京芝白金の高等学校に通っていました。クリスチャンの学校だったため、彼女は教会に通い、あるときそこで調所五郎と知り合います。お互いの悩みなどを打ち明けるなかで、二人は親しくなっていきます。
湯山八重子が体調を理由に学校をやめ、実家に戻ったことがきっかけで、二人は遠距離恋愛となります。五郎の両親は交際に賛成していましたが、八重子の両親はそうではありませんでした。そして、八重子に別の縁談を持ちかけます。
このような経緯から、二人は心中を決心することとなるのです。
2人は発見され、そして女性の遺体が……心中が起きたのは、1932年5月8日の夜と考えられています。翌日(5月9日)に二人の遺体は、神奈川県大磯の坂田山で、きのこを採りに来た地元の青年によって発見されました。
遺体は両親が引き取りに来るまで町内の寺で仮埋葬されることに。しかし、ここでさらなる事件が起こります。翌朝(5月10日)、寺の職員が、女性が仮埋葬された塚が掘り起こされ、彼女の遺体が盗まれていることを発見しました。
翌11日に彼女の遺体は船小屋で発見されたのですが、全裸の状態でした。この猟奇的な事件によって、さらに人々の話題を集めることとなりました。
