大河ドラマ「光る君へ」蔵人所でちょくちょく見かける「俊古」のモデル?橘俊済(橘俊古)とはどんな人物か (2/3ページ)

Japaaan

橘俊済(橘俊古)の生涯

菊池容斎『前賢故実』より、橘諸兄。

橘俊済は生没年不詳、橘高臣(たかおみ)の子として誕生しました。その別名を俊古というそうです。

【橘俊済・略系図】
……敏達天皇-難波皇子-栗隈王-美努王-橘諸兄-橘奈良麻呂-橘島田麻呂-橘長谷麻呂-橘海雄―橘茂枝―橘高臣―橘俊済(俊古)……
※諸説あり

という訳で「光る君へ」の俊古は、この橘俊済がモデルなのではないでしょうか。なので、以下は別名の橘俊古とします。

橘俊古は藤原顕光(宮川一朗太)の家司として仕え、永年にわたりその政務を担いました。

その一方で自身は大和守(大和国の国司長官)に任じられ、相応に認められていたことが分かります。

長保3年(1001年)に三通の申文(もうしぶみ)を奉ったと言いますが、その内容が何だったのか、また聞き入れられたのかはよく分かりません。

この時、橘俊古は前大和守(さきの~。元職)であったため、おそらくは別の官職を願い出たのでしょう。

没年が不明のため、いつまで活動していたか定かではありませんが、主君・顕光と概ね同じくらいと考えられます。

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