平安貴族の男性のお尻から長〜く伸びてる、あの帯って何なの? 〜平安時代の衣装の疑問アレコレ

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平安貴族の男性のお尻から長〜く伸びてる、あの帯って何なの? 〜平安時代の衣装の疑問アレコレ

平安時代、貴族男性の正式な服装といえば「束帯」。

朝廷に参内するときに着用しており「日の装束」とも呼ばれていました。この服装をすることを動詞のように「束帯して」とも表現していたほど。

さてこの装束、裾からなが〜く後ろに伸びており、引きずって歩く布が気になったりしませんか?

あれは「下襲(しもがさね)」といって位に寄り長さが決められており、平安時代中以降どんどん長くなっていきます。

これ邪魔じゃないのかなぁ?と思っていたのですが、絵巻物を見ると廊下に座っている男性が庭に向けて垂らしている…。

年中行事絵巻(藤原光長 絵、谷文晁 写〈江戸後期〉、国立国会図書館デジタルコレクション)

そう、実は庇の外側に着いた濡れ縁を「すのこ」といいますが、ふだんは通路として使われているものの、束帯姿でここに座る場合は下襲の裾を欄干に垂らすのが常識だったようです。

男性たちはこの下襲の柄や色でセンスを競ったとか。

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男性も顔を隠す?

また『枕草子』で「殿上人が開いている戸の前を通りすぎるときに、冠の「纓(えい)」(冠のうしろに長く垂れるもの)を後ろから前に持ってきて、顔を隠すのがおかしい」という描写があります。

どうやら男性貴族のなかでも、女性たちと同じように、顔を見られるのが恥ずかしいというおくゆかしさを持った人がいたようです。

牛車から衣装がちらっと見える「出車」

源氏物語など王朝文学でよく表現される、牛車の御簾から女性貴族の装束が押し出されて見える描写がありますよね。「出車(いだしぐるま)」というのですが、あれって、本当にそんなうまいこと見えるのかな?と思いますよね。

実は牛車内には天井から「手形」と呼ばれるグリップがついていて、そこをつかむと丁度袖が御簾から自然とはみ出るようになるそうです。うまいことできてますね。

源氏物語絵巻(藤原隆能 著、徳川美術館 編、徳川美術館、昭11)国立国会図書館デジタルコレクション

また、基本顔を見せない女性貴族たちが御簾の向こうから着物の裾を見せる「打出(うちいで)」。

顔を見せずに自分の品位やセンスをアピールする女性のテクニックの一つですが、後年様式化され、年中行事の場合などは文机を使って装束を被せて部屋の内側に並べて御簾から一部を見せるという、いわば装飾品のような使い方もしたそうです。

年中行事絵巻(藤原光長 絵、谷文晁 写〈江戸後期〉、国立国会図書館デジタルコレクション)

中に本物の女性が座っていたとは限らないのですね。

参考:あたらしい平安文化の教科書(著者 承香院、翔泳社)

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