邪魔者は失脚させる!平安時代に起きた藤原氏による他氏排斥事件「承和の変(じょうわのへん) 」とは? (2/2ページ)
彼は、嵯峨天皇から信頼を得ており、力をつけていました。藤原良房の妹(順子)は仁明天皇の妃となり、道康親王(文徳天皇)を産みます。これにより、藤原良房にとってさらに良い環境が整います。
仁明天皇と良房は、道康親王の皇位継承を望みました。道康親王を皇太子にする動きがあることを察した恒貞親王は、争いを避けるために何度か皇太子辞退を申し出ますが、その都度、嵯峨上皇に保留にされていました。
承和の変では何が起きた?840年(承和7年)に淳和上皇が崩御し、さらにその2年後には嵯峨上皇も病に倒れてしまいます。そこで恒貞親王に近かった伴健岑・橘逸勢らが謀反を企てているという密告が藤原良房と仁明天皇のもとへ届きます。
嵯峨上皇が崩御すると、藤原良房と仁明天皇はすぐに伴健岑と橘逸勢らを捕縛します。これが承和の変と呼ばれる事件です。
承和の変が起きた後の影響や変化は?捕らえられた伴健岑と橘逸勢は、重い刑である流罪に処されました。恒貞親王については、皇太子の座を廃止されてしまいました。その後は、出家しています。
伴氏と橘氏は藤原氏のライバルでした。伴健岑と橘逸勢が処罰されたことにより、藤原良房は権力を持つようになります。
藤原良房は承和の変当時は中納言でしたが、直後に大納言に昇進します。その後も右大臣、太政大臣にまで昇り詰めています。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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