まひろ(紫式部)とは同年代。清少納言『枕草子』にも登場する藤原宣孝の長男・藤原隆光とは?【光る君へ】 (2/3ページ)

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熱心な働きぶりが評価されたのか、寛弘2年(1005年)には蔵人式部丞(~しきぶのじょう)に昇進します。

寛弘末期に従五位下と叙され、蔵人大夫(くろうどのかみ)となりました。

この頃、藤原道長の近習として仕えてもいます。

治安3年(1023年)ごろに皇后宮大進(こうごうぐうのだいじょう/だいしん)となり、後一条天皇の皇后・藤原威子(いし/たけこ)に使えました。

治安4年(1024年)には正五位下と昇進し、その後に主殿頭(とのものかみ)を経て長元3年(1030年)には正四位下となります。

のちに左京大夫を務めたほか、越前(福井県)・筑前(福岡県)・備中・備前(いずれも岡山県)の4ヶ国で受領(ずりょう)を歴任しました。

藤原隆光の没年は不詳。2人以上の妻との間に六男一女を授かります。

【藤原隆光の子女】 藤原隆経(母親:家女房) 藤原隆方(母親:源国挙女) 藤原隆成(母親同じ) 藤原隆清(母親同じ) 林慶(出家。母親は不明) 教意(出家。母親は不明) 女子(藤原良経室。母親は不明)

『枕草子』にも登場

父子揃って御嶽詣で(イメージ)

以上、藤原隆光の生涯を駆け足でたどってきました。

ところで藤原隆光と言えば、永祚2年(990年)3月に、父と一緒に御嶽(みたけ)詣でへ行ったエピソードが有名ですね。

……右衛門の佐宣孝といひたる人は、「あぢきなき事なり。ただきよき衣を着て詣でんに、なでう事かあらん。必ずよもあやしうて詣でよと、御嶽さらに宣はじ。

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