近藤勇「新選組があっけない末路を迎えた理由は?」あの歴史偉人「裏素顔」 (2/2ページ)
さらに勇が「会津の城を枕に討死を遂げる」として新政府軍への抗戦及び会津行きを主張する永倉と決裂した際、「拙者は、さようなわたくしの決議には加盟いたさぬ」と言っている。当時、勇は正式な幕臣となっていた。したがって幕臣としての立場から永倉に同意しかねたわけであり、勝と同じく、新政府軍との講和がまとまるかどうかの大事な時に流山あたりで不満分子が勝手な行動をして、その妨げになるのを警戒したのではなかろうか。
近藤の狙いは、五兵衛新田に不平分子を集めるだけ集め、流山へ進軍後、新政府軍に出頭することによって、新選組や不満分子を空中分解させることだったといえないだろうか。
跡部蛮(あとべ・ばん)歴史研究家・博士(文学)。1960 年大阪市生まれ。立命館大学卒。佛教大学大学院文学研究科(日本史学専攻)博士後期課程修了。著書多数。近著は『超新説で読みとく 信長・秀吉・家康の真実』(ビジネス社)。