江戸時代、極めて非人道的な政策で「島原の乱」を引き起こした愚かで無能な藩主・松倉親子の愚行【後編】 (3/3ページ)

Japaaan

拷問にかけたり水牢に裸でいれ続け絶命させたり、悪行の限りを尽くしたのです。

また、父と同様にキリシタンにも非道な弾圧(拷問や処刑)を行いました。

領民やキリシタンの我慢もとっくに限界を越えていました。1637年10月25日、遂に領民は代官所を襲撃し代官を殺害します。それが島原藩内に拡大し、天草にも飛び火して島原の乱へと発展するのです。

松倉勝家の末路

島原の乱は4カ月続き、幕府側の総攻撃によって鎮圧されます。総攻撃と処刑によって籠城していた37000人全員が死亡。内通者1名のみが生き残るという悲惨な結末でした。幕府側も1万人程の死傷者がでたと言われています。

島原の乱鎮圧後、松倉勝家は島原の乱発生の原因の罪に問われます。勝家は、幕府のキリシタンに対する弾圧を守っただけと無罪を主張します。しかし、勝家の屋敷の桶から領民の死体がでてきたことが決め手となり斬首刑に処せられます。享年41歳。

暗君として非道の限りを尽くした松倉勝家は、江戸時代を通じて切腹すら許されず、罪人として斬首となったただ一人の大名という末路でした。

まとめ

今回は前後編で江戸時代最悪の暗君親子、松倉重政と松倉勝家について紹介しました。

領民やキリシタンに対する親子2代でのあまりにも非道なおこないは、人間としてあるまじきものでした。平和が260年続いた江戸時代に、こんな常軌を逸した暗君がいたことに驚くばかりです。

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「江戸時代、極めて非人道的な政策で「島原の乱」を引き起こした愚かで無能な藩主・松倉親子の愚行【後編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、松倉重政松倉勝家島原の乱江戸時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る