死因は抜きすぎ!?神武不殺の剣豪でもあった福沢諭吉が寿命を縮めてしまった激しすぎる修行とは (3/4ページ)
当時は攘夷論者からしばしば襲撃を受けたものの、どんな時でも斬り合うことなく、必ず逃げ出したと言います。
「何だ。せっかく剣術を習得しても人を斬らないのでは意味がないじゃないか」
そんな嘲笑が聞こえてきそうな気もしますが、むやみに人を斬らないのは諭吉だけではありませんでした。
同時代に活躍した勝海舟(かつ かいしゅう)や山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)らもまた、生涯にわたり人を斬ることはなかったと言います。
敵を斬らずに逃げるのは、決して弱いからではなく、無用の流血を避ける知恵でもありました。
確かに「攻撃は最大の防御」とも言う通り、敵を斬ってしまえばそれ以上は攻撃を受けない訳ですから、できれば斬った方が後の面倒がありません。
しかしながら、今は敵味方に分かれていても、彼らもまた日本の未来を憂う同志です。いたずらに有為の人材を喪うのは国家にとって大きな損失でしょう。
斬りも斬られもせずに幾たびもの修羅場を逃げ延びられたのは、これも達人の技量あればこそかも知れませんね。
実際の動機を諭吉本人に確認した訳ではないものの、これはまさに「神武不殺(しんぶふさつ。武を極める者は人を殺さず)」の境地と言えるでしょう。
死因は「抜きすぎ」!?激しすぎる居合の稽古そんな諭吉は明治維新がなった晩年になっても居合の稽古を怠ることはありませんでした。
まさしく「治にあって乱を忘れず」を体現しており、本人がつけていた稽古日記によれば、一人千本以上も抜いていたそうです。
これを諭吉は健康のためと言って実践していたそうですが、一日千本の居合稽古はいくらなんでもハード過ぎはしないでしょうか。
後世の医学者・土屋雅春(つちや まさはる)は諭吉の死因を「居合稽古のやりすぎ」と指摘しています。