実の息子を毒殺疑惑!戦国時代、“奥羽の鬼姫“の異名を持った「義姫」は本当に悪女だったのか? (3/4ページ)
息子を毒殺しようとした義姫
最後のエピソードは、天正18年(1590)の頃。
この頃は秀吉による小田原征伐が始まる頃で、義姫は次男の小次郎を当主に据えるために政宗を毒殺しようと計画しておりました。
しかし、失敗に終わった末に次男の小次郎が殺害されると共に自身は義光の元に逃げるという自業自得な末路を迎えてしまいました。
これは義姫にまつわる有名なエピソードで、この息子毒殺未遂事件を起こしたが故に、義姫は悪女との印象が広まったと言っても過言ではありません。
しかしながら、このエピソードは江戸時代の記録『治家記録』によるもので、信ぴょう性のある史料がないため、現代では全くの嘘だったと言われています。
また、義光の元に戻ったのは文禄3年(1594)の時であり、小次郎が殺害された後も2人の仲は悪化しておりませんでした。
そのことがわかるように、元和8年(1622)に最上家が内紛によって改易になると、行き場を失った義姫に政宗は居場所を提供しております。
ただ、小次郎は天正18年(1590)に死亡しておりますが、死因がわかる史料がないために未だ謎のままとなっています。