平安貴族は何人いたのか?彼らの階級や人数を知ることで理解が深まる『光る君へ』のバックグラウンド (2/3ページ)
『光る君へ』の登場人物たちの階級は?
この位階は「官位相当制」という制度によって、「官職」に直結していました。一位なら太政大臣や関白、二位なら左大臣や右大臣、三位なら中納言や大納言というように、位階に応じて官職が決められていたのです。
こうした制度を知っておくと、大河ドラマ『光る君へ』に登場する人物たちの人間関係が、より高い解像度で理解できるのではないでしょうか。
例えば紫式部の父である藤原為時は正五位下・左少弁(太政官の役人)でした。またその長男で式部の弟でもある惟規は従五位下だったので、貴族としてはもっとも低い階級だったと言えます。
四位までしか上がれない下級貴族は「受領(ずりょう)」と呼ばれました。式部のライバルとされる清少納言の父で、三十六歌仙の一人でもある清原元輔も、従五位上・肥後守を務めた受領でした。
一方、三位以上(一部四位)に叙された貴族は「公卿(くぎょう)」と呼ばれ、その数は家族を入れて100人前後だったとされています。
その頂点に立った藤原道長は、15歳で従五位下、30歳で従一位・太政大臣となり、翌年に辞任しています。
