三条天皇に入内した藤原道長の次女・藤原妍子とはどんな女性だったのか?【光る君へ】

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三条天皇に入内した藤原道長の次女・藤原妍子とはどんな女性だったのか?【光る君へ】

藤原道長と源倫子(りんし/ともこ、みちこ)の間には、四人の娘と二人の息子が生まれました。

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娘たちはそれぞれ入内して、父の権力掌握に貢献することになります。

今回は道長の次女・藤原妍子(けんし/きよこ)を紹介。果たして彼女はどんな女性で、どんな生涯をたどったのでしょうか。

三条天皇に入内し、権勢を極めるが……

三条天皇(画像:Wikipedia)

藤原妍子は正暦5年(994年)3月に誕生しました。

同母兄弟姉妹に藤原彰子(道長長女)・藤原頼通(道長長男)・本人・藤原教通(道長五男)・藤原威子(道長四女)・藤原嬉子(道長六女)がいます。

17歳となった寛弘7年(1010年)に居貞親王(のち三条天皇)に入内、親王の皇位継承後は中宮となりました。

ただし三条天皇には既に藤原娍子(せいし/すけこ)という愛妻がおり、彼女は皇后として妍子と対立するのです。

藤原娍子は藤原済時(なりとき)の娘で、美貌にすぐれ三条天皇から深く寵愛されました。

しかし父を疫病(天然痘)で亡くしてからは後ろ盾を失い、三条天皇の寵愛だけが恃みというもろい状況。次第に追い込まれていきます。

一方で父・道長の強力な後押しによって地位を確保していった妍子ですが、三条天皇からは「道長の手先」として疎まれたであろうことは想像に難くありません。

それでも長和2年(1013年)7月6日には禎子内親王(ていし/よしこ)を生みますが、子供は彼女一人きり。皇子を生むことはなく、妍子は道長の失望に苛まれたことでしょう。

長和5年(1016年)に三条天皇が道長の圧力に屈して敦成親王(あつひら。一条天皇と藤原彰子の子。後一条天皇)に皇位を譲ると、皇太后となった妍子は枇杷殿皇太后(びわどのこうたいごう)と呼ばれました。

寛仁元年(1017年)5月9日に三条天皇に先立たれ、妍子は遺された一人娘の禎子内親王を大切に育て、万寿4年(1027年)に禎子内親王が敦良親王(あつなが。のち後朱雀天皇)へ入内するのを見届けます。

これで思い残すことはないと安堵したのか、同年9月14日に崩御したのでした。享年34歳。

藤原妍子はどんな女性だった?

藤原妍子(イメージ)

三条天皇の外戚となった父の威光で権勢を極めた藤原妍子。

政治の道具に使われ、夫からは愛されなかったであろうその生涯に、悲しさを感じずにはいられません。

そんな妍子は悲しみを紛らわすかのように派手好きだったらしく、姉妹一と言われた美貌と相まって内裏に華を添えていました。

また和歌にもすぐれ、妍子のサロンは大和宣旨(やまとのせんじ。平惟仲女)はじめ、知的で華やかな女房たちが出入りしていたと言います。

妍子自身の和歌は『新古今和歌集』など8首が入選しており、まさに才色兼備でした。

あまりの派手さに兄の藤原頼通から叱責されたこともあったそうですが、そのくらいは見逃して欲しいものです。

華やかさと悲しみを合わせ持った魅力が、今も人々を惹きつけているのかも知れませんね。

藤原妍子・略年表

正暦5年(994年)
3月 誕生(1歳)

寛弘元年(1004年)
11月 正四位下、尚侍となる(11歳)
12月 従三位となる

寛弘7年(1010年)
1月 従二位となる(17歳)
2月 入内

寛弘8年(1011年)
三条天皇が即位し、女御となる(18歳)

寛弘9年(1012年)
中宮となる(19歳)

長和2年(1013年)
皇女の禎子内親王を生む(20歳)

長和5年(1016年)
三条天皇が譲位する(23歳)

寛仁元年(1017年)
三条天皇が崩御する(24歳)

寛仁2年(1018年)
皇太后となる(25歳)

万寿4年(1027年)
9月14日 出家、同日崩御(享年34歳)

終わりに

三条天皇と藤原妍子(イメージ)

今回は藤原道長の次女・藤原妍子の生涯をたどってきました。

悲しみを隠すように華やかな暮らしを送った彼女ですが、死を目前にすると慎ましく身を清め、正式に出家して美しく世を去ったと言います。

道長と倫子は死穢をも構わず遺体にとりすがり「老いた両親を置いて逝かないでおくれ。どうか冥途のお供をさせておくれ」と悲しんだそうです。

果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」では、彼女が物語にどんな華を添えてくれるのか、今から楽しみにしています。

※参考文献:

倉本一宏『三条天皇 心にもあらでうき世に長らへば』ミネルヴァ書房、2010年7月

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