吉原遊廓をも脅かす私娼に…江戸時代の銭湯で働く「湯女(ゆな)」による過激化した性的サービスの実態 (3/3ページ)
明治期の吉原遊女(Wikipediaより)
江戸期以降の湯女
幕府は風紀の乱れや公娼の保護のため、湯女や風呂屋女の禁止令を定期的に発令し、取締りを強化するも効果は薄かった。
江戸では1657年の風呂屋一斉打ち壊し、1703年の元禄大地震を経て風呂屋の体制が一変。それまでのように表向きな湯女や風呂屋女の存在は鳴りを潜めたが、幕府の眼を盗む形での売春は継続し、健全な銭湯として営業する反面、売春を行う湯女が常駐した。
一方で、公娼である遊女が働く遊郭は幕府公認で継続し、1656年に現在の台東区浅草寺裏に本拠地を移転。1957年の売春禁止法の施行によって姿を消すも、同地には風俗店が今も存在する。
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