容赦なき粛清!3度目の介錯でようやく絶命、新撰組の古参隊士・河合耆三郎の切腹劇【前編】 (2/3ページ)
新選組局長・近藤勇
その後は、組織内の中心派閥であった近藤勇(こんどういさみ)率いる試衛館派(江戸にあった道場の門下生を中心に結成された組織)が実権を掌握した。
河合耆三郎1838年、播磨国(現在の兵庫県)の米商人の家に生まれる。新撰組入隊の正確な日時は定かでない。新撰組の隊名を用いる以前、壬生浪士組時代の構成員名簿に勘定方として名前が確認できることから、1863年の9月以前には入隊していたことがわかる。
浪士としての活動勘定方であった河合だが、新撰組の自警活動にも参加している。1864年に起こった池田屋事件(中央政界への影響力低下を危惧した長州藩を中心とした尊王攘夷派浪士たちと繋がる古高俊太郎を新撰組が捕縛。浪士たちが古高奪還を相談するために開いた会合現場を新撰組が襲った事件)では、副長である土方隊の構成員として参戦したとされる。