恐山の禅僧が説く「後ろ向きの人生訓」とは (2/2ページ)
仏教が手を伸ばそうとするのは、苦しくて切なくて悲しい思いをしている人たちで、その人たちのためだけに仏教はある。誰も生まれようとして生まれてこないし、生まれたい時に、生まれたいところに、親を選んで生まれたいように生まれてこない。一方的に体と名前を押し付けられて、「自分」にさせられる。不本意なまま、予め人生は始まってしまり、それは重荷である。もう生き始めた最初から大仕事なのだ。その重荷を投げ出さずに、今まで生きてきた事実だけでも大したもだと、南氏は述べる。
心がモヤモヤするときは、本書から南氏の人生訓を読んでみてはどうだろう。ポジティブであること、プラス思考であること、人生を楽しむこと、常に成長し続けることを強要されるような現代に辟易している人にとっては救いとなる一冊だ。
(T・N/新刊JP編集部)