藤原道長の娘なのに「たゞ人(ただの人)」と結婚させられた五女・尊子の生涯をたどる【光る君へ】 (2/3ページ)
長和2年(1013年)9月16日に11歳で従四位下(じゅしいのげ)に叙されました。
13歳の長和4年(1015年)9月20日に従三位(じゅさんみ)へ昇進、15歳となった寛仁元年(1017年)4月26日に長家と共に成人の儀式を行います。
男児は元服、女児は着裳(もぎ)を行いました。
そして万寿元年(1024年)3月27日、22歳となった尊子は元皇族の源師房(もろふさ)と結婚します。
隆子から尊子に改名したのはこの時だそうです。源師房は隆姫女王の弟で、頼通の猶子となっていました。なので道長にとっては義理の孫と言えるでしょう。
姉妹で唯一「たゞ人」と結婚
結婚時点では「たゞ人」に過ぎなかった?源師房。菊池容斎『前賢故実』より
ところで、道長の娘は6人いましたが、皇族でも公卿でもない「たゞ人(ただの人)」に嫁いだのは尊子だけでした。
この扱いについて、同母兄の頼宗や能信らは大いに不満を持ったと言います。
「側室の娘だからただ人に嫁がせたのだ!こんな不公平が許されていいのか!」
しかし当時は10代半ばで結婚するのが通例である中、尊子は22歳で結婚。これは結婚適齢期にある相手がいなかったためであり、いわば苦渋の決断とも言えるでしょう。
また源師房は元皇族であり、道長の一族と皇室のつながりを保つ上でも重要な存在でした。