江戸時代、男に飢えた大奥の女中がイケメン僧侶と密会するため通いつめた「感応寺」とは? (3/3ページ)
感応寺の住職となった日啓は、イケメン僧侶を揃えて男に飢えた大奥の女中らを味方につけることで、より権力を掌握しようと考えます。そんな日経の手により、接待役のイケメン僧侶と大奥の女中たちの間には、乱れた肉体関係が築かれていきました。
淫行の果てについには、イケメン僧侶のことが恋しくなって感応寺に忍び込む女中も現れるように。
しかしあるとき、寺と大奥の女中の関係に勘づいた寺社奉行が抜き打ち調査を行ったことで、感応寺と女中らの淫らな関係が発覚します。なかには、寺に運ばれる長持の中に隠れて忍び込もうとする女中も見つかったとか。
抜き打ち調査で問題視された感応寺ですが、家斉の後ろ盾もあり深くは追求されませんでした。
しかし、家斉の没後には老中「水野忠邦」によって島流しの刑に処されています。
一方、お美代の方と養父の清武は関与を否定して、ちゃっかり責任を回避しているというから「したたか」としか言いようがありません。
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