日本史上屈指の偉人・聖徳太子の実績を全否定!『日本書紀』によって歪められた人物像【後編】 (2/3ページ)
それに、皇太子に立てられたとする当時の厩戸王の年齢は20歳くらいと推定でき、とても政治を主導できる年齢ではありませんでした。
建造物に残された手掛かりでは改めて、実際の彼はどんな人物だったのでしょうか?
手掛かりは、厩戸王の死の翌年に制作された法隆寺釈迦三尊像にあります。その光背に、厩戸王を「法皇」とする銘、つまり仏教と関連付けた銘が刻まれているのです。
また、書紀の中の脚色が多い記述を除くと、厩戸王の名前が最初に出るのは斑鳩宮の造営に関する部分から (605年/32歳前後)。これも大きな手掛かりです。
斑鳩宮は厩戸王の宮殿で、法隆寺造営と並行して造られたものです。働き盛りの時期に独立して寺院造立に専念し始めたとすると、彼が仏教興隆に熱心な皇子だったとは言えそうです。
総括すると、【前編】でも簡単に述べた通り、彼は政治を主導する立場ではなくあくまでも「協力者」としての立場だったと考えるのが妥当でしょう。