農民にとっても刀剣はシンボル!豊臣秀吉の「刀狩り」、実は農民の武装解除は徹底されていなかった (2/3ページ)
また、1700年代の信濃国松本藩では、領内の村落で1000挺以上の鉄砲の存在が確認されています。
狩りや害獣への威嚇用だったとはいえ、その気になれば人を殺すことができる代物を、農民たちは持ち続けていたのです。
では、秀吉による刀狩りの真の目的と、その実態はどのようものだったのでしょうか。
実は徹底していなかったそもそも刀狩りでは刀剣類の回収が重視され、畿内以外では鉄砲や弓の没収はあまり熱心に行われなかったとされています。
秀吉の臣下である溝口秀勝は、没収した武器類を送ったところ「刀が少ない」と奉行から叱られたといいます。
また、薩摩家当主の島津義弘は「武器の没収量が少ないと奉行に怪しまれるので、もっと刀や短刀を送ってくれ」と国許に手紙を書いています。