江戸時代の悪名高き「生類憐みの令」は社会福祉策の一環だった!?暗君・徳川綱吉が本当に目指したもの
改革者・徳川綱吉
江戸時代最悪の法令ともいわれる生類憐みの令を制定したのは、五代将軍・徳川綱吉です。
彼は懇意の僧侶のアドバイスにより、法令を作ったとされています。この法が天下の悪法といわれてきたゆえんは、生き物を過剰に保護して違反者を取り締まったとみなされてきたからです。
例えば犬を傷つければ死罪になり、ノミやシラミを駆除するだけで裁かれる者までいた程です。
一連の法令は、綱吉の死後すぐに撤廃。その後も、綱吉は幕政を混乱させたとして低く評価されてきました。
しかし研究が進むと、かつては過激な面ばかり注目されていた生類憐みの令は、実は人間も対象にした社会保護法だったことが分かってきました。綱吉は決して暗君ではなく、儒教や仏教の教えに基づく慈悲の社会を目指していたのです。
そんな経緯もあり、現在は社会福祉を推進して戦国の風習を一掃した人物として再評価されています。
儒教に基づいた社会福祉策を打ち出す犬将軍とまで揶揄される綱吉は、儒教や仏教の学問を好む勤勉な人物でした。
母の桂昌院をはじめ、多数の儒学者の教えを受けて勉学に目覚めると、病床でも書物を離さず、将軍就任後も学者の討論や講義によく足を運んだといいます。将軍には珍しく、自ら講義を開くこともあったとか。
生類憐みの令に問題があったことは事実で、犬殺しで死罪になった者や、釣りをして処罰された者もいました。ただ、摘発されるケースはごく稀で、地方では必ずしも徹底されていなかったようです。
そもそも、綱吉は犬好きだから生類憐みの令を出したわけではありません。この法令の成立には、当時の社会情勢が大きく関係していました。
綱吉が将軍になった17世紀後半は、血で血を洗う戦国の風習が色濃く残っていました。人命に対する意識は現代とは大違いで、宿泊中の旅人が病を理由に宿から追い出されたとか、困窮や障害などを理由にした捨て子や子殺しが頻繁にあったのです。
このような空気を一掃したのが、綱吉の政策でした。彼はリーダーシップを発揮して、儒教に基づく仁政を目指したのです。
彼は、宿が病人を叩き出すことを禁じると同時に、捨て子や子殺しを別法で禁止しました。特に捨て子の禁止令は三度も繰り返し施行するほど徹底しています。
元禄9年(1696)の夏には、町村内にいる妊産婦と三歳以下の子どもを記録しておくよう全国に命じています。幼児は「七つまでは神のうち」と言われて戸籍にすら載らない時代において、この政策はまさに画期的なものでした。
福祉制度改革・機構改革も行うさらに綱吉は、獄中の生活環境改善にも着手しています。
役所へ、浮浪者への食糧支援と宿泊所の設置を命じるなど、現在の福祉政策に通じる方針を多数打ち出したのです。
生類憐みの令に関する法令は綱吉の死後に廃止されましたが、捨て子対策のように人間を対象とした法は違い、後の政権にも継承され、結果として戦国の殺伐とした空気は一掃されていったのです。
また幕府機構の整備にも綱吉は一役買いました。財政を司る勘定奉行の下に、事務作業を監査する勘定吟味役を設置。試験制を採用して家柄に関係なく人材を取り入れ、組織力を強化しようとしたのです。
もちろん、貨幣政策の失敗や野犬収容所の増設に伴う増税、財政規律の乱れといった失策も犯しており、綱吉を手放しに評価することはできません。
しかし、一人の政治家の打ち出す政策が全て100点満点ということは通常あり得ないわけで、その功績を考慮すれば、少なくとも通説のような無能な暗君ではなかったと言えるでしょう。
参考資料:日本史の謎検証委員会・編『図解最新研究でここまでわかった日本史人物通説のウソ』彩図社・2022年
画像:photoAC,Wikipedia
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