私が父上を殺すかも…ミステリアスで謎に包まれた織田信長の正室「濃姫」の生涯 (2/3ページ)
狩野元秀画「紙本著色織田信長像」/Wikipediaより
つまり2人の結婚は、まさに戦国時代によくあった政略結婚だったというわけです。織田信長といえば、「うつけ者」と噂される青年だったことを皆さんもよくご存知でしょう。だらしない身なりと行儀の悪い態度で城下をうろつくなどの行動から、「奇人・変人」と囁かれていたのです。
しかし道三は、そんな信長に対し「むしろ、将来性のある大物かもしれない」と、興味をかき立てられたのでした。
「もしかしたら、私が父上を殺すことになるかもしれません」
天文18(1549)年、帰蝶は15歳となり、いよいよ信長のもとへ輿入れすることとなりました。
両親に別れの挨拶を告げる彼女に、父・道三は懐刀を与え、
「信長が本当のうつけなら、これで殺すがよい」
と言いました。
それに対し、帰蝶はこう答えました。
「もしかしたら、私が父上を殺すことになるかもしれません」
帰蝶は、信長が「うつけ者」のふりをしているだけで本当はとんでもなく大物だったならば、父よりも彼を取り、そのまま戻らないかもしれない。それはつまり、父を殺すことになるかもしれない、と言ったのです。
さすが「まむし」の娘だけに、機知に富んでいたことが伺えます。