実は生きていた!「巌流島の決闘」で宮本武蔵に敗れた佐々木小次郎のその後 (2/2ページ)

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この彦島東沿岸から巌流島までの距離はおよそ300mほどで、伝説のように弟子たちが師の決闘の様子を見守ることも不可能ではなかったと推測することも可能です。

また、小次郎の妻のその後についても言い伝えが残されています。それによれば、決闘当時、小次郎の妻・ユキは子どもを身籠っており、夫の遺髪を届けられた後、山陰地方に逃れたそうです。

実はユキはキリシタンで、長い流転の末、他の信者たちとともに山口県阿武郡阿武町福田下の寺ヶ浴という地にたどり着き、その土地の正法寺という寺に身を寄せて剃髪して、尼になったそうです。

現在も同所には小次郎の墓が残っていますが、それはユキが夫の菩提を弔うために築いたもので、墓には「佐々木古志らう」と刻まれています。

この墓石の名前についても伝説が残されており、ユキが墓名に「佐々木小次郎」と刻ませなかったのは、これから生まれようとしている子どもが成長してこの墓を目にしたときに、その子が父親の敵を討つことがないように配慮したためだとか。

佐々木小次郎の墓

また、小次郎の墓の近くには「バテレン墓」と呼ばれている墓も残されています。これは六面の観音様が彫られている石塔で、ユキがこの墓に祈りを捧げていたと伝わります。

参考:山口県の旅行・観光情報 おいでませ山口へ

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