沖田総司に並ぶ剣客!幕末に”人斬り鍬次郎”と呼ばれた新選組の知られざる人斬り「大石鍬次郎」 (2/3ページ)
どれくらい優れていたのかというと三段突きで馴染み深い沖田総司と並び立つほどでした。
しかし、新選組と敵同士だった阿部十郎からは「剣の腕は立つが、思想的背景がなくただ人を殺すだけの残酷な人物」と評されています。
入隊後は総司率いる一番隊に配属されます。慶応2年(1866)に起きた三条制札事件では原田佐之助らと共に10人の隊士を率いて出動しています。
しかし、他の隊士たちとの連携不足で到着が遅れてしまったため、これといった活躍は出来ませんでした。
翌年の慶応3年(1867)に起きた油小路事件では伊東甲子太郎を暗殺し、大きな活躍を見せます。
数々の戦闘と暗殺により人斬りの異名へその後は同年12月に起きた天満屋事件(てんまやじけん)では斎藤一らと共に紀州藩士・三浦休太郎の護衛に当たりました。休太郎自身は顔面に傷を負ったものの、命に別状はなく無事に任務を果たします。
斎藤一/Wikipediaより
数多くの戦闘を経験し、伊東甲子太郎も暗殺した鍬次郎はいつの間にか「人斬り鍬次郎」の異名を持つようになりました。