戦国時代、わずか15歳で処刑された駒姫の悲劇!殺生関白・豊臣秀次の悪行の数々 (2/3ページ)
これらの悪行が秀吉の耳に入り、秀次は自刃を言い渡されるのです。
秀次が自刃した半月後、39人の秀次の近親者が京都の三条河原で公開処刑されました。秀次の首を目の前に妻子たちが処刑される様子は、見物した者が後悔するほど凄惨だったそうです。
秀次に嫁ぐ前だったにもかかわらず処刑された駒姫
近親者を次々と処刑していったことからも、秀次に対して異常な憎しみを秀吉が感じていたと想像できます。後継者として関白の地位までつけた甥に対して、あまりにもむごい仕打ちをした秀吉。その憎しみは、まだ秀次に嫁いでいなかった駒姫にまで向かいます。
駒姫像(wikipediaより)
伊達政宗の叔父にあたる最上義光(もがみ よしあき)を父に持つ駒姫は、秀次に嫁ぐため京都へやってきました。しかし、秀次に会う前に秀次は自刃してしまいます。その半月後、駒姫自身も秀次の近親者として処刑されることに……。
まだ嫁ぐ前だったので、父親である最上義光は駒姫の助命に奔走しますが叶いませんでした。夫となる予定だった秀次と駒姫が対面したのは自分が処刑される場所だというから、悲劇としか言いようがありません。
すでに秀次は首だけの存在になっており、そこで駒姫は辞世の句を詠み、15歳という短い生涯を終えたのです。