なぜ縄文遺跡は山間部のような不便な場所に多い?現代人には理解しがたい古代の不思議 (2/3ページ)

Japaaan

秋の木の実は縄文人にとって貴重な食糧だった

しかも大人数を養うためには、近場で大量の食料が手に入る場所を選んだ方がいいに決まっています。と考えれば、平野よりも山間部のほうが、はるかに好条件の物件だったと言えるでしょう。

水の問題

またもうひとつ、縄文時代の遺跡がある場所の特徴として、水を汲める場所が近くにあったことも挙げられます。

言うまでもなく水は人間にとってなくてはならないものです。昔は水道がないため、生活のための水汲みは毎日の日課だったと思われます。

このため、人々は水汲みの苦労を少しでもやわらげるため、川の近くに住んで川の水を利用していました。そして、そこに集落が作られていったのです。

八甲田山から臨む陸奥湾。三内丸山遺跡の近くには川や海が存在していた

大昔から、人は生きるために欠かすことのできない飲み水や魚などの食料を川に求めてきました。また、やがて農業を始めるようになると、そのために必要となる用水を川から引くようになります。

一方で、川は重要な交通路でもありました。

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