カミカゼだけではなかった!日本が強大な力を持っていた「元」を「元寇」で退けることができた理由 (2/4ページ)
高麗(朝鮮)などの周辺国も属国として従え、全盛期には「史上最大の国」と呼ばれるほどの勢力を持ちました。
1266(文永3)年、そんな元の皇帝フビライ・ハーンから日本へ、こんな内容の国書が届きました。
「私が皇帝になってから高麗が我が国に降伏して属国となり、喜ばしいことだ。
しかし日本は、昔からその高麗と仲良くし、中国とも貿易をしていたのに、モンゴル皇帝に対し1通の手紙もよこさず、国交を持とうともしない。どういうことだ?
これからは我々も仲良くしよう。
このことが理解できないなら、軍を送ることになるが、それはこちらとしても本意ではない。
よく考えて返事をしてくれ」
要は「我々と国交を結ばないなら、お前の国へ攻め込むぞ」という脅しです。
当時の日本は金の産出国として知られていたため、元はそこに目を付け、日本も属国にしようとたくらんだのでしょう。
しかし鎌倉幕府は、これに対し返事をしないことで
「元との国交は拒否する」
という意思を伝えようとしました。
日本の「無言の拒否」が伝わらなかったのか、元はその後も何度か使者を日本へ送り国交を求めました。
それでも日本が返事をしなかったため、フビライはついに日本へ総勢約4万の大軍を差し向ける決定を下します。
これが、最初の「元寇」として知られる「文永の役」です。