なんと織田信長の死を予言!僧侶、預言者、戦国大名といくつもの顔を持つ天才軍師「安国寺恵瓊」という男 (2/3ページ)

Japaaan

しかし元就が安芸だけでなく、周防や長門にまで勢力を広げていく様子をみて、恵瓊は、そのまま僧侶として生きていく道を選んだものと思われます。

やがて、毛利氏の使僧として恵瓊の名がみられるようになります。

信長の死を予言

天正元年(1573)11月、恵瓊は上洛し、織田信長側の使僧・朝山日乗と協議しました。テーマは足利義昭の処遇についてでした。

このときの交渉経過を、彼は輝元の家臣に報告していますが、そこに書かれていた内容が驚きです。

「信長の代、五年三年は持たるべく候。明辺は公家などに成らるべく候かと見及び申し候。左候て後、高ころびにあおのけにころばれ候ずると見え申し候」

と、信長の横死を予言していたのです。

天正10年(1582)5月から6月にかけての秀吉による備中高松城攻めのときにも、恵瓊は毛利側の代表として、秀吉の軍師・黒田官兵衛と講和交渉にあたりました。

秀吉と会見する恵瓊(Wikipediaより)

このあと、恵瓊は秀吉に優遇されます。秀吉から知行を与えられ、禅僧のまま伊予国の内で2万3000石を与えられ、のち5万石(一説に6万石)に加増されたといわれています。

戦国大名として

さらに文禄・慶長の役では、その石高に見合う軍勢を率いて大名として出陣しており、加藤清正が籠城した蔚山(ウルサン)救出に一役かっているほどです。

「なんと織田信長の死を予言!僧侶、預言者、戦国大名といくつもの顔を持つ天才軍師「安国寺恵瓊」という男」のページです。デイリーニュースオンラインは、安国寺恵瓊軍師僧侶戦国時代織田信長カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る