上司にバカにされまさかの切腹!?謎多き男、新選組・原田左之助は坂本竜馬暗殺の容疑者? (2/3ページ)
池田屋事件、禁門の変、油小路事件などをはじめとする新選組が関わる戦いのほとんど全てに参加しましたが、後に新選組から離れて靖兵隊を結成し、彰義隊に参加して上野戦争で戦ったときの負傷がもとで1868(慶応4)年に29歳で亡くなったとされています。
しかし、日清・日露戦争のときに松山に「私は原田左之助だ」と語る老人が現れ、弟や甥と話をした後「満州へ帰る」と言って去ったという逸話も残っていて、そこから「左之助は上野戦争で死なずに新潟→下関→釜山→中国大陸へと渡り、馬賊の頭となった」という伝説も語られるなど、今に至るまで謎の残る人物なのです。
「切腹の作法も知らない」とバカにされて本当に腹を切って見せた!?
そんな左之助には「えっ!?」と驚くようなエピソードが残されています。
故郷で奉公していた頃、上司に当たる武士と口論になった際「腹を切る作法も知らない下司!」と罵られたことにキレ、なんとその場で本当に腹を切って見せたというのです。
一説には、彼が伊予松山藩を飛び出した原因が、まさにこのトラブルだったとも言われています。
そのときにできた傷は左之助的には「名誉の傷」だったようで、彼はその後も何かと腹の傷を「俺の腹は金物の味を知っているんだぜ」と自慢していた上、自身の家紋まで○に切腹の傷を表す横一文字を入れたものにしたというから驚きです。
短気でケンカっ早い性格だったことが伺えますが、その一方では新選組の隊士の中では珍しく、愛妻家で子煩悩な父親だったというエピソードも残されています。