江戸時代に陰湿極まりない”職場内いじめ”が発端で起こった刃傷事件「千代田の刃傷」とは? (2/3ページ)
度重なるいじめに耐え切れず…
文政6年(1823)4月、追鳥狩の予行演習が実施されましたが、あろうことか外記は遅刻してしまいます。
この取り返しのつかない失態を犯した責任から自ら拍子木役を辞退し、病気療養を理由に自宅に引きこもりました。
そして、追鳥狩の翌日に職場復帰するも、外記に待っていたのは古参たちからの嫌がらせでした。
内容も外記を罵る悪口や無視、挙句の果てには弁当箱に馬糞を詰めるといった陰湿極まりないもの。
いじめと言っても過言ではない嫌がらせに堪忍袋の尾が切れた外記は、同年4月22日に同じ書院番に所属する本多忠重と戸田彦之進、沼間左京の3人を殿中にて斬殺。加えて、間部詮芳と神尾五郎三郎にも傷を負わせます。
その場に居合わせた者たちが狼狽し、殿中が大騒ぎとなった中で外記は自害して果てました。
事件を隠ぺいするべく動く上司この刃傷沙汰が発生した後、外記たちの上司である酒井山城守は周囲と共に事件を隠蔽すべく動きました。
事件をまとめる文書を書いた目付は、死者が出たことを記載せず、保身のために真実を書いた文書を封印文書として作成。本丸から来た侍医は、死亡者を危篤状態と偽る報告をするように頼まれ、一度は拒んだものの従いました。
