誠の志は維新後も…「新選組」の中で明治維新後も生き抜いた3人の古参隊士たちの最期

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誠の志は維新後も…「新選組」の中で明治維新後も生き抜いた3人の古参隊士たちの最期

幕末に活躍した新選組の中には、永倉新八斎藤一の他にも明治維新後を生き抜いた隊士たちがいました。

今回はその中から新選組創設期になる文久3年(1863)から入隊し、生き残った古参3人を紹介したいと思います。

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永倉新八と知己の仲であり、命を救った島田魁

まず1人目は島田魁(しまだ-かい)です。魁は36歳になる文久3年(1863)に新選組に入隊。魁が通っていた剣術道場で親しい仲であった永倉新八を通じてでした。

魁は入隊当初は諸士調役兼監察(新選組内部と外部を調査する役職)で所属し、元治元年(1864)には後の池田屋事件に繋がる重要人物、古高俊太郎の捕縛で活躍します。

そして、慶応元年(1865)4月からの組織編成で、魁は伍長として2番隊組長の新八のもとへ配属されます。

その後は慶応3年(1867)に起きた油小路の変では御陵衛士の服部武雄と戦い、同年12月には御陵衛士に銃撃された近藤勇の窮地を救うなど新選組には欠かせない人物となりました。

近藤勇/Wikipediaより

また魁は180センチで怪力という巨漢で、その体格を活かして慶応4年(1868)での鳥羽伏見の戦いの際、魁と共に撤退していた新八が重装備のため土塀を登れずにいると、自らの銃に掴んでもらい軽々と引っ張ったエピソードがあります。

新政府軍の力に圧倒され数々の隊士たちが散り散りになっていく中、魁は土方歳三と共に箱館で最後まで戦いました。しかし、明治2年(1869)に降伏。

土方歳三/Wikipediaより

その後は剣術道場や雑貨屋、レモネード屋を開きますがうまくいかず、最終的にはかつて新選組の屯所であった西本願寺の夜間警備員となります

そして、明治33年(1900年)魁が73歳の時、勤務中に持病の喘息が悪化しそのまま息を引き取りました。葬儀には新八も参列し、かつての部下との思い出を懐かしんだと思います。

入隊して早々、大出世した尾形俊太郎

2人目は尾形俊太郎(おがた-しゅんたろう)です。俊太郎は魁と同じ年である文久3年(1863)に入隊し、すぐに幹部クラスである副長助勤の役職に就任します。

また、翌年12月の組織編成では5番隊組長として名を連ねました。ここまで俊太郎が着々と出世できたのは、彼がインテリであったことが要因でした。

刀一本でのし上がってきた近藤勇にとって、文学に長けた俊太郎は新選組を文武両道の組織にするために必要不可欠と考えていたことでしょう。それを裏付けるように慶応元年(1865)と慶応2年(1866)に長州征伐の幕命を伝えるため、幕臣や勇、伊東甲子太郎たちと共に長州へ向かっています。

伊東甲子太郎/Wikipediaより

恐らく長州藩の内部調査やそれに伴う交渉を行うために、俊太郎たちを選りすぐったと考えられます。

また、慶応元年(1865)の組織編成では諸士調役兼監察と文学師範となり、文官として新選組を支え、慶応3年(1867)には再度副長助勤に返り咲きました。

その後、俊太郎は慶応4年(1868)から始まった鳥羽・伏見の戦い、甲州勝沼の戦いを経て、斎藤一と共に会津藩に残留し、敗戦後も会津藩にいました。

そして、程なくして故郷である熊本県へ戻り、私塾を開いてひっそり暮らし、大正2年(1913)に他界。75歳でした。

愛嬌ある顔つきで美男五人衆の一人、山野八十八

最後は山野八十八(やまの-やそはち)です。八十八は先述した2人と同じく文久3年(1863)に新選組に入隊します。愛嬌のある顔つきで常に笑顔を絶やさなかったので、怒った表情を見せたことがありませんでした。

また、八十八は他のイケメン隊士と共に美男五人衆と称されていました。それを裏付けるようにこのようなエピソードがあります。

まだ新選組の屯所が壬生寺近くにあったころ、その寺の裏にある「やまと屋」の娘が美女ということで隊士たちが狙っていました。

しかし、娘が惚れたのは八十八だけであり、2人はそのまま結婚しました。八十八が高嶺の花も落とせるくらいのイケメンだったことが伺えますね。

八十八は先述した2人とは違い、役職持ちではなく平隊士として沖田総司率いる一番隊に所属しておりました。しかし、新選組内で重要な任務を任されていた一番隊の中で八十八は目立った活躍をしませんでした。

そして、慶応4年(1868)に新選組が鳥羽伏見の戦いで敗れ、他の戦いでも次々と連敗していく中で八十八は箱館まで残りますが、降伏する前に離隊していました。

その後の八十八は、京都にある菊浜小学校で用務員として働きます。明治29年(1896)に退職後はやまと屋の娘との間でできた娘と再会。そして、八十八は69歳の年になる明治43年(1910)に亡くなりました。

最後に

新選組創設当初から支えた3人の古参隊士を紹介しました。3人は同じ文久3年に入隊したということで同僚のように感じられます。

また各々違う役職で活躍し、維新後も3人とも別々の生き方をしましたが、ふとした瞬間に新選組時代の思い出にふけっていたと思いますね。

参考

前田政記『新選組全隊士徹底ガイド』

鈴木亨『新選組99の謎』

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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