古代日本の「古墳」は誰が設計していたのか?倭国の土木技術を支えたプロフェッショナル集団「土師氏」の存在 (2/3ページ)
この大山古墳は三重の濠をもち、全長が四八六メートルもあって、底面積だけ見ればピラミッドよりも巨大です。世界的にも最大級の墓と言っていいでしょう。
また、その形は、空から見ると均整が取れていて、最も美しい前方後円墳ともいわれています。そのことから、当時の倭国の土木技術は一流だったと考えられますが、では誰がどのようにして、この巨大古墳を設計したのでしょうか?
この古墳造りにかかわった技術者集団と目されているのは、土師氏(はじし)です。
奈良の豪族だった土師氏は、三ツ塚古墳も含めた道明寺一帯を本拠とし、古墳造営や葬送儀礼にかかわった氏族とみられています。
奈良・大阪の古墳群や大古墳の近くには土師という地名があり、それらは古墳を築くために一族が移り住んだ居住地に、豪族名が地名として残ったものと考えられています。
土師氏は、四世紀末から一五〇年ほどの間、古墳造りにかかわり続けた後、朝廷から新たな姓を与えられて、大江氏、菅原氏、秋篠氏に分かれていったとみられています。
棺は誰が作った?また、当時使われていた棺についても、特定の工人が建築に関わったと考えられています。
当時の棺の大半は木製ですが、古代には、木製のほか、焼物の陶棺と石棺がありました。
とくに、古墳時代には石棺が多く作られ、西日本を中心に一〇〇○個近くが発掘されています。