実父・徳川家康に嫌われていた?他家を養子として転々とした家康の次男・結城秀康の複雑な人生 (3/4ページ)
他家を養子として転々する
豊臣秀吉/Wikipediaより
結城晴朝/Wikipediaより
家康から冷遇された秀康は、天正12年(1584)に起きた小牧・長久手の戦いでの和睦条件として豊臣秀吉の養子となります。
豊臣秀吉/Wikipediaより
この前の天正7年(1579)に秀康の兄、信康は亡くなっていましたが、当初から跡継ぎは三河国の名家生まれの秀忠と決まっていました。
身分の低さが仇となり秀吉の養子となりましたが、羽柴姓や豊臣姓をもらう好待遇を受けていました。
しかし、秀吉の子である鶴松が生まれると事態は一変することになります。
秀吉は後継者を鶴松に指名すると、天正18年(1590)に秀康を結城晴朝(北関東の大名)の養子としました。
結城晴朝/Wikipediaより
晴朝には子がいなかったため他家から養子をもらっていましたが、秀吉に接近することを目的に養子を排していました。