後一条天皇への入内に失敗!父の野望に翻弄された平安時代の女性・藤原生子の生涯【光る君へ】 (2/3ページ)

Japaaan

後朱雀天皇へ無理やり入内

後朱雀天皇(画像:Wikipedia)

かくして生子の初婚は未遂に終わったのですが、長暦3年(1039年)には後朱雀天皇(敦良親王。一条天皇の第三皇子)へ無理やり入内させられました。

この時ばかりは頼通の妨害をものともせずに強行した教通ですが、生子としてはたまったものではありません。

入内に用いる輦車(れんしゃ)を頼通に貸してもらえず、教通は大急ぎで輦車を造らせたと言います。

また頼通への遠慮から、祝賀に参列した殿上人はわずか5名。藤原経通(つねみち)、藤原定頼(さだより)、藤原信長(のぶなが)、藤原経家(つねいえ)、藤原顕家(あきいえ)だけでした。

ほとんど誰も祝ってくれない結婚式。これは父のあくなき野望による犠牲と言えるのではないでしょうか。

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