片腕のサムライ!戦国時代〜幕末、腕一本になろうとも不屈の闘志で刀を振るった隻腕の武士たち (2/3ページ)
そして、敗色が濃厚となり勝頼が天目山にて自害を覚悟した際、昌恒は自害の時間を稼ぐため織田軍相手に奮戦します。
この時、昌恒は地の利を生かして狭い崖道に織田軍を迎え撃ち、自身は崖下へ落ちないように片手で蔓を掴んでいたので、もう片方の腕のみで戦いました。
昌恒の奮戦によって勝頼は邪魔されることなく自害を果たし、目的を達成した昌恒も勝頼の後を追うように最期を迎えました。
自害に臨む武田勝頼/Wikipediaより
不安定かつ片手ながらも昌恒は千人の織田軍を崖下の川へ突き落したので、その川は3日間赤く染まったままだったそうです。
この功績によって、昌恒は『片手千人斬り』の異名と伝説を残しました。
伊庭の小天狗と称された伊庭八郎
そして2人目は伊庭の小天狗と称された幕末の武士、伊庭八郎(いば-はちろう)です。
天保8年(1844)に生まれた八郎は幼いころから漢学や蘭学といった学問に興味があったので、剣術稽古を16の頃から始めました。それでも才能があったので、八郎は伊庭の小天狗や伊庭の麒麟児と呼ばれていました。