江戸時代「将軍」を一度も輩出できず辛酸を舐め続けたエリート一族「尾張徳川家」の運命【後編】 (3/4ページ)

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しかし、宗睦は後継に恵まれず、義直から続く男系の血統は断絶してしまう。尾張藩は独自の後継者を擁立することができず、10代尾張藩藩主に就任した「徳川斉朝」は紀州徳川家の血を次ぐ一橋徳川家の出身であった。

尾張徳川家14代目藩主 徳川慶勝(Wikipediaより)

以後、尾張藩の藩主は13代の「徳川慶臧(よしつぐ)」まで紀州徳川家の血統を受けた人物が踏襲し、尾張藩は独自の候補を擁立することができなかった。御三家筆頭としての権威は落ち、家中に将軍家への不満が鬱積していった。

幕末の動乱と反徳川への歩み

尾張藩は14代目にしてようやく、尾張藩の支藩である高須藩から藩主慶勝を迎えることに成功する。これによって将軍家からの内部干渉を弱めることに成功した尾張藩。

藩主の慶勝は積極的に藩政に取り組み、幕府の政治を正そうとする動きを見せる。しかし、時の大老「井伊直弼」によって隠居・謹慎に追い込まれてしまう。尾張藩としては宗春以来2度目の藩主処罰だった(安政の大獄)

その後、桜田門外の変を受け幕府の力は弱体化、慶勝は復権し、禁門の変では総督として長州藩征伐の指揮をとった。

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