裏切り者?それとも名将?築城の天才・藤堂高虎の江戸城縄張りと、石垣に見る驚きの築城術! (4/4ページ)
この大規模な外堀工事は関ケ原の合戦後に始められ、家光時代の寛永期に完成を見ることになるので、約30~40年間に渡って行われた大工事であったことがわかります。
外堀の範囲は大名屋敷、武家屋敷、町人街を全て包括しており防御性に富んでいます。また、螺旋状に伸びている外堀から枝分かれするような形で水路が張り巡らされており、物資輸送も効率的に対応できるようになっています。
軍事機能と都市機能を併せ持った縄張りこそ江戸が発展する大きな要素であり、藤堂高虎の築城センスが反映されています。
また、藤堂高虎は石垣からその特徴が見えてきます。上図は江戸城石垣と熊本城石垣を比較したものです。
(左)江戸城石垣(右)熊本城石垣
熊本城は加藤清正得意とする「そり」が特徴的である「武者返し」であるのに対し、江戸城の石垣は高く直線的で水面から30mあります。高石垣の方が防御性に優れている一方で、堀を有する城は地盤が軟弱になる傾向があるため高さのある石垣は造りにくいとされています。
江戸城や伊賀上野城などの石垣が現存しているところに安定的な高虎の築城技術を見ることができます。
江戸が百万都市になり約260年に渡って繁栄を続けたのは、築城の天才・藤堂高虎が全面的にプロデュースした「江戸城」にあったことは言うまでもないでしょう。
今も尚、「東京」が日本の首都であることは藤堂高虎が都市としての「完全な下地」を江戸に敷いてくれたことに他ならないのではないでしょうか。
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan