勝てば英雄、倒れた者の運命は…。東郷平八郎に敗れたバルチック艦隊の提督はその後どんな最期を迎えたのか? (2/3ページ)

Japaaan

ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー(Wikipediaより)

帰国した翌年、ロジェストヴェンスキーはロシアの海軍省で開かれた軍事法廷にかけられます。

ロジェストヴェンスキー本人は「自分にも責任がある」と主張しましたが、意識不明の重傷を負っていたとして責任は問われませんでした。

最終的に、彼の負傷後に全軍の指揮を継承したネポガトフ提督とコロン参謀長が死刑宣告を受けることになります。

実際には2人に死刑が執行されることはなく投獄されただけだったようですが、しかし、ここからロジェストヴェンスキーの運命は一変していくのです。

この軍事法廷での判決は、かねてから彼の態度に不満を持っていた者たちの感情に拍車をかけました。

ロジェストヴェンスキーは、バルチック艦隊がヨーロッパから喜望峰回りでアジアへ向かう途中で部下に対して冷たくあたったり、水兵を罵倒し暴力を振るうなどの問題行動を数多く起こしていたのです。パワハラですね。

そうした傲慢な態度への不満がくすぶっていた中での法廷での判決に、かつての部下たちの不満は歯止めが効かなくなっていきます。

環境要因も

この様な事態に海軍省も無視できなくなり、ロジェストヴェンスキーの官位はついに剥奪され、軍籍からも追放されてしまうのです。

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