【大河ドラマ べらぼう】蔦重のライバル!?風間俊介が演じる地本問屋・鶴屋喜右衛門とは何者なのか? (2/2ページ)
京都の本家は寛永年間(1624~1644年)から幕末まで存続しています。
江戸に出てきた鶴屋喜右衛門は明治時代まで存続し、多くの絵双紙(えぞうし)や錦絵を版行しました。
鶴屋喜右衛門が版行した作品たち
※蔦屋重三郎が亡くなる寛政9年(1797年)まで
菱川師宣 『江戸雀(地誌)』延宝5年(1677年) 鳥居清倍 『市川ゑび蔵の丑の刻参り(漆絵)』元文延享ごろ 二代目鳥居清倍 『(二世)大谷広次と(初世)中村助五郎(紅摺絵)』宝暦前期 鳥居清峰 『由良之助遊興の図』時期不詳 喜多川歌麿『婦人泊り客之図』時期不詳 勝川春英『三世市川八百蔵の助六(錦絵)』寛政3年(1791年) 勝川春潮 『てうしやひな雀 あふきや花扇 松葉や喜瀬川(錦絵)』寛政3~4年(1791~1792年) 喜多川歌麿『青楼仁和嘉女芸者之部(錦絵)』寛政4~5年(1792~1793年) 北尾政美『浮絵仮名手本忠臣蔵(錦絵)』寛政3~6年(1791~1794年)頃 栄松斎長喜『女房気取りの芸者(錦絵)』寛政6年(1794年)ごろ 喜多川歌麿『錦織歌麿形新模様(錦絵)』寛政9年(1797年)ごろ エピローグ
その後、鶴屋喜右衛門は二代目・三代目と襲名されます。
しかし文政12年(1829年)には文政の大火で店舗が焼けてしまい、天保の改革にともなう規制を受けて衰退していきました。
天保4年(1833年)に二代目が急死、明けて天保5年(1834年)の大火災で又しても店舗が焼けてしまいます。
以降は次第に振るわなくなり、辛うじて幕末・明治まで命脈を保ったということです。
終わりに今回は鶴屋喜右衛門について、その栄華を駆け足でたどってきました。
一時は蔦重に並び称される存在となりながら、表現規制や相次ぐ火災で衰退していく様子があわれを誘わずにはいられません。
果たしてNHK大河ドラマ「べらぼう」では風間俊介がどのような役回りを演じるのか、今からたのしみですね!
※参考文献:
吉田漱『浮世絵の基礎知識』雄山閣、1987年7月 小林忠ら『浮世絵の鑑賞基礎知識』至文堂、1994年5月 朝日新聞社編『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年10月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan