両手の自由を奪われ…江戸時代に山東京伝や喜多川歌麿が受けた「手鎖の刑」とは?【大河ドラマ べらぼう】 (3/3ページ)
もちろん手鎖を外してやった者に対しても刑罰があり、その者には過料が命じられました。
ただし手鎖はそこまでギチギチではなかったため、手首が細い人は手鎖に油を塗るなどして封印を解かずに手首を抜き、同心がチェックする時だけ再度手首さしこむという要領のよい手合いもいたそうです。
明治時代まで存続していた手鎖
刑罰としての手鎖は明治明治3年(1871年)12月の法改正によって消滅しました。
最後に手鎖の刑を受けたのは明治2年(1869年)、文書偽造の罪によって手鎖100日の判決を受けた服部喜平治(はっとり きへいじ)が最後だそうです。
刑罰としての手鎖はなくなったものの、拷問器具としての使用はその後も認められました。
司法の場から完全に手鎖が消えたのは明治12年(1879年)10月8日、太政官布告第42号によって廃止されています。
終わりに今回は江戸時代を中心に用いられた刑罰・手鎖について紹介してきました。
果たしてNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華之夢噺~」でも手鎖が登場するのでしょうか。
※参考文献:
石井良助『江戸の刑罰』中公新書、1974年3月 大久保治男『江戸の犯罪と刑罰―残虐・江戸犯科帳十話―』高文堂出版社、1988年1月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan