ほとんどの守護大名が「戦国大名」になれなかったのはなぜ?両者を分かつものは何だったのか (2/3ページ)

Japaaan

下克上による成り上がり

さて、守護大名の立場からいわゆる戦国大名へと転身した大名としては、甲斐の武田氏、駿河の今川氏、近江の六角氏、豊後の大友氏、薩摩の島津氏などがいますが、実はこうしたタイプは少数派です。

武田家の勢力を一代で築き上げた武田信玄

多くの戦国大名は、守護の家臣である守護代か、有力地侍の国人からの成り上がりでした。

このように、下の者が上の者にとってかわるのをなんと呼ぶかはご存じですね。そう、下克上です。

多くの戦国大名は守護大名の立場から穏健に転身したのではなく、下克上によって政治的実権を奪う形で成り上がっていったのです。

ところで、守護の多くが実権を奪われたのは、自分の領地に常駐していなかったことが最大の理由でした。最後にこの、守護大名が領地に常駐していなかった理由を説明します。

形式的な権力者

守護の多くは足利一門かそれに準じる有力家臣だったため、守護であると同時に幕府の要職にも就いていました。

つまり、地方の領主的存在でありながら、中央政権にも参画していたということです。

現代に例えて言えば、県知事が国会議員や大臣を兼務していて、普段は東京にいるようなものでしょう。

地域の統治者であるはずの守護がほとんど領地にいなかったということは、実質的な権力を握るのはその留守を守る守護代です。

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