顔も見たくない!?隣国で忌み嫌われた日本の紙幣ベスト3【前編】

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顔も見たくない!?隣国で忌み嫌われた日本の紙幣ベスト3【前編】

韓国から見た日本の紙幣

関係性や立場によって、同じ人物についての評価が異なることはよくあることです。

戦後の日本の紙幣には、これまで二宮尊徳・板垣退助・聖徳太子・岩倉具視・高橋是清・伊藤博文・福沢諭吉・新渡戸稲造・夏目漱石などの肖像が使われ、2024(令和6)年からは北里柴三郎・津田梅子・渋沢栄一が登場しました。

令和の新紙幣

いずれも日本の政治や経済、文化の分野で顕著な功績があり、紙幣の肖像にふさわしいと評価されたからこそ選ばれたわけです。

ところが、この中に韓国の政府やマスコミが忌み嫌う人物が三人もいるのです。

それは伊藤博文と福沢諭吉、渋沢栄一です。それはなぜでしょうか。【前編】【後編】に分けて、その理由や背景についてお話ししましょう。

その国の紙幣の肖像として誰を選ぶかは、本来ならよその国が干渉することではありません。でも、そのような感情を持つ国や人もいるということは、知っておいても無駄ではないでしょう。

大韓民国最初の紙幣は日本で印刷

まず簡単に、韓国の紙幣発行と日本との関係について、ごく簡単に書いておきます。

日本の明治時代初期の頃の韓国には、紙幣を発行して流通させる政治力・経済力が全くありませんでした。

そんな中、1878(明治11)年に日本の第一国立銀行の支店が、釜山の居留地内に開設されます。

1930年の第一銀行本店。第一国立銀行が一般銀行に改組し第一銀行となった(Wikipediaより)

この支店開設をきっかけに、日本の通貨が朝鮮に流通し始めます。

しかし、日清戦争後の三国干渉(1895年)などにより朝鮮国内でロシアの影響力が強まると、貨幣制度の改変のため日本通貨の流通が縮小します。

そこで、第一銀行(もと第一国立銀行)は1902年に銀行券を発行しました。

その銀行券は実質的な紙幣として流通し、1905年には韓国政府が正式な紙幣と認定しています。

金銀なら万国に通用しますが、紙幣は信用の裏づけがなければ単なる紙切れに過ぎません。だから、信用のある第一銀行から発行された紙幣を承認せざるを得なかったのです。

その紙幣に描かれていたのが、当時頭取だった渋沢栄一の肖像でした。

そうです。歴史上、渋沢栄一の肖像が紙幣に使われたのは、実は二度目だったのです。

ところが、この渋沢が韓国では嫌われているのです。

忌み嫌われる渋沢栄一

渋沢栄一といえば少し前の大河ドラマで有名になり、明治時代に日本経済の近代化を成し遂げた最大の功労者として知られています。

彼は、1873(明治6)年に第一国立銀行を設立した人物でもあります。

近代の韓国で最初となる紙幣に、「侵略者」である日本人の肖像が描かれているということは韓国の人々にとって屈辱に感じられたようです。

紙幣の発行から8年後の1910(明治43)年には韓国が日本に併合され、紙幣を使うたびに渋沢の肖像を見ることになります。

韓国の人にしてみれば、渋沢が韓国に対する経済的侵略の象徴と理解されても無理はありません。

板橋の渋沢栄一像

ちなみに戦後、1950(昭和25)年6月に大韓民国の中央銀行として韓国銀行が設立されますが、その直後に朝鮮戦争が勃発しました。

そのため新紙幣の発行ができず、急きょ韓国政府から依頼された日本政府は、大韓民国最初の紙幣を大蔵省印刷局で印刷します。これらは米軍の軍用機で運ばれました。

この時の肖像は大韓民国初代大統領の李承晩で、単位は「圓」(円)と表記されています。現在の韓国通貨の単位である「ウォン」は「円」の朝鮮語読みです。

【後編】では、福沢諭吉と伊藤博文の韓国での受け止め方について解説します。

参考資料:執筆・監修阿部泉『明日話したくなるお金の歴史』清水書院、2020年
画像:photoAC,Wikipedia

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