縄文時代、戦争は本当になかったのか?「弥生時代に貧富の差が生まれ戦争が起きた」という歴史観が揺らいでいる (2/3ページ)
では、なぜ弥生時代が戦争の始まりなのか。その答えは、弥生時代に中国大陸や朝鮮半島から稲作が日本に伝わり、農耕社会が成立したからです。
稲作の伝来により弥生人は安定した食料の確保が可能になり、定住して生活ができるようになりました。しかし、どこに村(集落)を作るかによって稲の収穫に差が出るのは昔も今も同じです。
つまり貧富の差が生じたわけですが、これによる略奪行為から戦争が始まったというわけです。
ということで、稲作が始まっていない縄文時代には戦争はなかったと考えられてきました。
弥生人が好戦的だったとまでは言えませんが、貧富の差の発生がギスギスした社会を生み出したのであり、それ以前は争いのないユートピアだった(これも言いすぎかも知れませんが)というイメージが、日本人の歴史観の根底にあると言ってもいいでしょう。
しかし、2002(平成14)年、奈良文化財研究所が高知県土佐市の居徳遺跡群で縄文時代晩期(2800年前~2500年前)の人骨15体(少なくとも9人分)を発見し、縄文時代の戦争が現実味を帯びてきたのです。
人骨はいずれも成人男女のもので、その中には骨製の矢じりが貫通し、解体された痕跡のある女性の太ももの骨をはじめ、金属製ののみ状のような刃物で何度も刺された傷がある上腕骨など、明らかに殺傷された痕跡のある骨が3点ありました。