推古天皇は“日本で最初の女性天皇“ではない!?日本最古の歴史書から読み解く知られざる女帝の系譜【前編】
日本史における女性天皇の概要
歴代天皇では、推古天皇・皇極天皇・斉明天皇・持統天皇・元明天皇・元正天皇・孝謙天皇・称徳天皇・明正天皇・後桜町天皇という8人(10代)の女性天皇が即位しています。
これまで、最初に即位した女性天皇は、崇峻天皇が殺害されたあとに即位した第33代の推古天皇であり、日本最初の女帝といわれています。
日本初の女性天皇!女帝・推古天皇はお飾りなどではなくエリート血統の敏腕政治家だった! "東アジア初の女帝"として知られる推古天皇は本当に「中継ぎ」にすぎなかったのか?
しかし推古天皇は正確には「確実な日本最初の女帝」というべきであり、第2代の清寧天皇が崩御した後に政務を行った飯豊青皇女を実質的な日本最初の女帝(女性天皇)とみる説もあります。
また、この飯豊青皇女はシャーマンだったという説もあり、卑弥呼のような女帝だったとも考えられています。
今回はこのテーマを前編・後編に分けて掘り下げてみましょう。
日本最初の女性天皇近年、新聞やテレビなどで女性天皇や女系天皇の擁立問題が取り上げられるようになりました。
皇位を継ぐことのできる男性皇族が途絶えた場合、女性天皇や女系天皇が皇位を継げば皇統を守り続けることができますが、現行の皇室典範はどちらの即位も認めていません。
そこで、皇室典範を改正して、女性天皇や女系天皇を容認しようというわけです。
歴代天皇の多くは男性天皇ですが、先述した通り過去には8人(10代)の女性天皇が即位しています。そして最初の女性天皇は推古天皇で、「日本最初の女帝」とするのが一般的な見方でした。
推古天皇のことは教科書にも掲載されていますので、その名を聞いたことがある読者が多いと思いますが、ざっとおさらいをしてみましょう。
推古天皇は欽明天皇の皇女で、敏達天皇(第30代)の皇后となった女性皇族ですが、592(崇峻5)年、崇峻天皇(第3代)が暗殺され、593(推古元)年、即位しました。その後は、甥の聖徳太子を摂政として政治を行ったことで知られています。
二つの史料の記述
推古天皇が日本最初の女帝(女性天皇)であることは多くの文献に記されていますが、実は、推古天皇以前に女帝すなわち女性天皇がいたという説もあります。
その根拠は、『日本書紀』にある次のような記述です。
第2代の清寧天皇が崩御したあと、皇太子の億計王と弟の弘計王が互いに天皇の位を譲り合って、長い間、どちらも皇位につこうとしませんでした。
そこで、2人の姉である飯豊青皇女が忍海角刺宮で政治をみて、自ら忍海飯豊青尊と名のったといいます。
奈良県葛城市にある飯豊天皇埴口丘陵(Wikipediaより)
彼女が清寧天皇のあと政治をみていたことは『古事記』にも記されていますが、不思議なことに『古事記』と『日本書紀』の内容は異なります。
『日本書紀』によると、清寧天皇が崩御したあと2人の王がいたことになっていますが、『古事記』の伝えるところでは、清寧天皇が崩御したあとは天皇には皇后も皇子もなく、天下を治める王がいなかったというのです。
2つの所伝を読んだとき、どちらが当時の状況を正しく伝えていると感じるでしょうか。
『日本書紀』はいまひとつ緊張感に欠けますが、『古事記』に記された状況であれば皇統が途絶えるおそれがあり、天皇家はさぞかし慌てたに違いありません。
『日本書紀』に従えば、飯豊青皇女の執政は後の「称制」(天皇の死後、皇太子や皇后が即位しないで政務を行うこと)のようでもあり、あくまでも次の天皇が決まるまでの「つなぎ」くらいの感じです。
ところが『古事記』に従えば、飯豊青皇女はすなわち天皇不在という政治的空白の危機的状況を救ったわけであり、実質的な天皇と見ることもできそうです。
このあたりの解釈については、【後編】で詳しくみていきましょう。
参考資料:日本歴史楽会『あなたの歴史知識はもう古い! 変わる日本史』宝島社(2014/8/20)
画像:photoAC,Wikipedia
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

