武士道バイブル『葉隠』最終巻・最終話の教訓がこれだ!口述者・山本常朝は何を伝えたかったのか?

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武士道バイブル『葉隠』最終巻・最終話の教訓がこれだ!口述者・山本常朝は何を伝えたかったのか?

江戸時代に成立した武士道バイブル『葉隠(はがくれ。葉隠聞書)』

隠居した佐賀鍋島藩士・山本常朝(やまもと じょうちょう/つねとも)が語った内容を、同じく田代陣基(たしろ つらもと)が書き記したものです。

その内容は全十一巻にも及び、往時の武士たちがどのように生きたかを伝えるテキストとして、重要な役割を担っています。

第一巻の「武士道とは、死ぬ事と見つけたり……」というフレーズなどは有名ですが、第十一巻の最後に何が書かれていたか、知っている方はあまり多くないかも知れません。

そこで今回は『葉隠』最終巻の最終話を紹介。果たして山本常朝は、どんな教訓で物語を締めくくったのでしょうか。

『葉隠』最後の教訓と現代語訳

山本常朝(画像:Wikipedia)

一六九 天下國家を治むると云ふは、及ばざる事、大惣の事の様なれども、今天下の老中、御國の家老年寄中の仕事も、この庵にて咄し候事より外はこれなきものなり。これにて成程治めてやる事なり。結句あの衆は、心元なき事あり。國学知らず、邪正の吟味せず、生れつきの利發まかせにて、諸人這ひ廻り、おぢ畏れ、御尤もとばかり申すに付、自慢私欲出来るものにて候なりと。

享保元年丙申九月十日

※『葉隠聞書』巻十一より。

【意訳】天下国家を治めると聞くと、とても自分には及びもつかぬ大層なことであるように感じるかも知れない。

しかし今、幕府の老中や大名家の家老・年寄らが天下や領国を統治しているが、その基本はわしがこの庵で話してきた内容を出るものではなかろう。

奇をてらわず、基本に則って政治を行えば事足りるのである。

しかしあの者たちは実に心もとない。地道に学問を修めることなく、物事の是非を吟味することも怪しいものだ。

その場限りの思いつきで保身に駆けずり回り、権力を恐れ「仰せごもっともにございます」とへつらうばかりである。

世の中要領よくやったモン勝ちだと思っているから、奢り高ぶって私利私欲に走り、政治を腐敗させてしまうのだ。

と、山本先生は仰った。

享保元年(1716年)丙申(ひのえのさるどし)9月10日

終わりに・山本常朝が『葉隠』を語った思いは

武士道と云ふは、死ぬ事と見つけたり(イメージ)

これが『葉隠』最後の教訓です。

天下国家を治めると聞けば、自分には及びもつかない大事業にも思えるが、その基本は人間誰でも同じこと。

しかしその基本を蔑ろにする連中が、要領よく権力に媚びへつらって政治を腐敗させている。そんな義憤が伝わってくるようです。

今さら隠居の身で何ができる訳でもないが、奉公人としてあるべき精神を受け継いで欲しい。そんな思いを抱えていたのでしょう。

享保元年(1716年)と言えば、元和偃武より早100年余。戦国乱世も遠く過ぎ去り(時々争乱はあったものの)、武士の官僚化が進み、古風ゆかしき武骨者は社会の片隅へ追いやられていました。

平和の尊さこそ忘れなかったものの、武士が武士として誇り高く生きられた時代を偲んでいたのかも知れません。

治に在って乱を忘れず、志高く生きるための指針として、山本常朝は『葉隠』を語り伝えたのでしょう。

※参考文献:

古川哲史ら校訂『葉隠 下』岩波文庫、2011年6月

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