古代人もやっぱりウナギ好き!古代の日本人は何をどう食べていた?木簡や古文書から読み解く当時の食文化【前編】

Japaaan

古代人もやっぱりウナギ好き!古代の日本人は何をどう食べていた?木簡や古文書から読み解く当時の食文化【前編】

古代人は「何を」食べていたか

古代の人々が「何を」食べたかを知るための手がかりは、意外と多くあります。今回は古代人の食事についての研究成果を前編・後編に分けて解説します。

※合わせて読みたい!↓

肉がダメなら〇〇を食べればいいじゃない!仏教の「殺生禁止」が生み出す食文化

邪気を祓う魔除け!?古くから神聖な食べ物とされた「小豆」はいかにしてスイーツとなったか?【前編】

平安時代の『延喜式』は、律令の施行細則であるだけに、諸国から「税」としてどんな食材が運ばれたかを細かく記しています。

延喜式(Wikipediaより)

また、奈良時代の『万葉集』には「石麻呂に我物申す夏痩せに良しといふものぞ鰻捕り食せ」と、ウナギが既に夏の栄養源とされていたことが分かる歌などがあります。

さらに、遺跡からは獣や魚の骨、貝殻なども出土しています。食材については、現代とさほど変わりがないものを食べていたのです。

しかし、使われていた食材は検討がついても、それらを「どう」食べたかははっきりしません。

例えばアワビは、国家祭祀で神の食事として重んじられていたらしく『延喜式』でも「鮨あわびわたつけあわびながあわび蝮」「腸潰蝮」「長」など様々な加工法や形状が記されていますが、実際の姿は謎が多いです。

木簡は貴重な情報源

これについては、『延喜式』『万葉集』のほか奈良・正倉院に残る文書の分析や、出土する土器の焦げ跡の観察などを通じて調べられてきました。

しかし、調べると言っても手掛かりがなければどうしようもありませんから、ある程度記録が残っているものを調べていくしかありません。例えば公式の場の食事や宴会などです。

そんな中でも、長屋王家跡周辺で発見された大量の木簡などは大きな手掛かりで、当時は牛乳を消費していたこと、畿内近郊から大根などの野菜が届いたこと、ウリのかす漬けを食べていたこと、などが記されています。

長屋王(Wikipediaより)

中には金銭出納簿のような木もあり、市場で食材を買うごとに「鮭五隻(匹)」が「百文」、「古鯖」が「五十文」、「鴨四羽」が「百文」と価格まで記されていました。

日常生活に近い場で使われた木簡の情報は、当時の肉声に近く、これなどは貴重な発見でした。

禁じられた食べ方

また、冷蔵技術が未発達だった奈良時代に魚をどう食べたかは、意外なところからもうかがえます。

天平9年(737年)に疫病が猛威を振るった際、諸国に通知された官符には、食事に関する指示がありました。

それによると、生魚は食べてはならず「煎炙」することとし、火を通すよう求める。干したアワビやカツオは食べてよい。サバやアジは干物も食べてはならない。アユは火を通しても食べてはならない――。

アジの干物

このように「食べるな」と指示が出るということは、見方を変えれば、生も含めてそういう食べ方がなされていたということでもあります。

【後編】では、このように想像以上に多彩で豊かだった当時の食事メニューについて、意外な問題点があったことを説明します。

参考資料:
中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社(2024/10/7)
画像:photoAC,Wikipedia

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「古代人もやっぱりウナギ好き!古代の日本人は何をどう食べていた?木簡や古文書から読み解く当時の食文化【前編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、木簡延喜式奈良時代古代古文書カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る