なぜ明智光秀=天海説はいまだ語り継がれるのか?徳川幕府を導いた謎の僧「天海」の正体 (2/4ページ)

Japaaan

出自や年齢がハッキリしていないこともあるのですが、光秀との関連性を窺わせる点があるところも、「天海=光秀」をイメージさせる要因なのでしょう。

日光の名所「明智平」は、天海が名付けたという伝承。

天海が深く関わった日光東照宮にある、光秀の家紋「桔梗紋」の存在。

豊臣方で戦った光秀の孫・織田昌澄は大坂の陣の後、家康によって助命。

徳川秀忠・家光の名前と、光秀という字の共通点。

徳川家光の乳母に、光秀の重臣だった斎藤利三の娘・春日局が採用。

などの理由が挙げられます。これらのエピソードと謎が多い天海の存在と合わさって、天海は光秀ではないのかと言われるようになったのでしょう。

明智平(写真ACより)

謎が多い天海の人生

天海の前半生は不明な部分が多いです。

天海の直弟子である胤海が記した「東叡山開山慈眼大師縁起」によると、天海は陸奥国の蘆名氏の生まれだと書かれています。しかし、足利将軍の落胤説があるとも記されており、当時から謎が多い人物だったのでしょう。

そんな天海に弟子が尋ねたところ、「生まれも年齢も忘れてしまった」と語っているそうです。身近な人にさえ自分の出自を語ろうとしない天海の存在は、神秘的なものだったのではないでしょうか。

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