大河『べらぼう』にダジャレで登場!「まちかね山」はどこにある?本当に実在するのか?

「まちかね山でございます」
江戸っ子と言えば地口が大好き、お待ちかねにも「山」をつけずにはいられません。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」でも、まちかね山が登場していました。
ところでこの「まちかね山」って、実在するのでしょうか。今回はこの「まちかね山」について調べてみました。
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その名の通り待兼山は、大坂府豊中市・池田市・箕面市にまたがる山で、千里丘陵を構成しています。
標高77.3m、豊中市には待兼山町という地名があり、現代は大学キャンパスや閑静な住宅街となっているようです。
そんな待兼山は古くから歌枕として親しまれ、また清少納言『枕草子』にも登場しました。
三輪の山、をかし。手向山。待ちかね山。たまさか山。耳なし山。……
※『枕草子』より
【意訳】三輪山は、誠に趣き深い。他にも手向山(たむけやま)や待兼山、邂逅山(たまさかやま)、耳なし山など……
夜をかさね 待ちかね山の 時鳥(ほととぎす)
雲井(くもゐ)のよそに 一声ぞ聞く※『新古今和歌集』より、周防内侍(すおうのないし)
【歌意】毎晩あの人を待ちかねていると、遠く離れた場所からほととぎすの声が聞こえた。
津の国の 待兼山の 呼子鳥(よぶこどり)
鳴けど今来(いまく)と いふ人もなし※『古今和歌集』より、詠み知らず
【歌意】摂津国(現代の大坂北部・兵庫県南東部)にある待兼山で、呼子鳥が鳴いている。しかし「今行くよ」と応える声はない。
呼子鳥とはカッコウまたはヒヨドリのことと言われますが、はっきりしたことはわかりません。
カッコウの鳴き声「カッコウ」が「子来(子、来う=我が子よ、来なさい)」と呼んでいるように聞こえたため、呼子鳥と呼ばれたとも考えられています。
……江戸から遠くはなれた待兼山。しかし古くから歌枕として親しまれてきたことから、狂歌などを嗜む江戸っ子にとって、意外と馴染みの深い地名だったのかも知れませんね。
まちかね山のモデル?②待乳山(東京都台東区)
少し音は違いますが、吉原遊郭からほど近い待乳山(まつちやま)も、まちかね山のモデルになったかも知れません。
待乳山とは待乳山聖天(〜しょうてん)の境内となっており、山と言っても高さ10mほどの小高い丘。東京で一番低い山として知られています。
元は真土とも書かれ、かつてこの一帯が泥海であったころ、ここだけがしっかりした土だったそうです。
この地に待乳山聖天が祀られたのは推古天皇9年(601年)のこと。旱魃に喘ぐ民を安らげようと、歓喜天(かんぎてん)と十一面観音(じゅういちめんかんのん)が安置されました。
以来多くの文人墨客が訪れ、その情緒を文学や絵画に描き出しています。
待乳山 今では猪牙(ちょき)の 目当てなり
※川柳(詠み人知らず)
【歌意】聖地として崇敬されてきた待乳山も、今では吉原遊郭に通う客を乗せる猪牙舟の目印となっている。
きぬぎぬ(後朝)の噂をなかす 宮戸川(みやとがわ)に
歓喜(かんぎ)の御社(おんやしろ)森々(しんしん)として
貴賤(きせん)此処の杜(もり)を見ても
心をうこかすも
ひとへに此神を恋の媒(なかだち)とやいわん※関清長『絵本物見岡 上』
花の蔭 水に浮かれて面白や 河上遠く降る雨の 晴れて逢ふ夜を待乳山 逢うて嬉しき
あれ見やしゃんせ……♪※長唄「都鳥」
こちらの方が吉原遊郭に近く、蔦重らに親しまれていたかも知れません。
終わりに今回は大河ドラマの劇中に出てきた地口「まちかね山」について、モデルかも知れない山を紹介してきました。
Q.まちかね山とはどこの山?
①摂津国の待兼山?
②江戸浅草の待乳山?
③それともどこか別の山?
④そもそも架空の山?
皆さんは、どう思われたでしょうか。
他にも劇中では「ありがた山」「おしかけ山」など、多くの山が出て来ますが、これからもどんな山が出て来るのか、楽しみにしています。
※参考文献:
金竜山縁起編修会 編『南無観世音 : 金竜山縁起正伝』国立国会図書館デジタルコレクション 絵本物見岡 上 都鳥|長唄 歌詞解説日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan