“愛国”とは何か? 飛鳥時代、日本で初めて「愛国」の言葉を授かった名もなき英雄・大伴部博麻
「愛国」という言葉の語源—それは、1300年以上も前の飛鳥時代、ある一人の無名の兵士が起こした行動に由来しているといわれています。その無名の兵士を、大伴部博麻(おおともべのはかま)といいます。
歴史の教科書には登場しないこの人物こそ、日本で初めて“愛国”という言葉を与えられた男なのです。
663年、百済の復興を支援するため日本が派遣した軍が、朝鮮半島・白村江の地で唐と新羅の連合軍と激突しました。これが有名な「白村江の戦い」です。
戦況は圧倒的な劣勢。日本軍は敗北を喫し、多くの兵士が命を落とし、捕虜として唐に連行されました。大伴部博麻もその一人でした。
連行先の唐の都・長安で、博麻は奴隷同然の生活を余儀なくされます。それでも彼は生き延び、ある日、とんでもない情報を耳にすることになります。
「唐が、日本への侵攻を計画している」
もしもこの情報が祖国に伝わらなければ、日本は再び滅びの危機に直面するかもしれない。自らは帰国できない。だが、他の仲間たちなら。
博麻はなんと、自分自身を唐の民に“奴隷として売り”、その資金で、同じく捕らわれていた4人の仲間を帰国させました。
帰国した彼らは、天智天皇に唐の侵略計画を報告。その情報を受け、日本では急遽、水城や大野城といった防衛拠点の整備が進められました。
結果、唐・新羅連合軍は日本侵攻を断念。たった一人の兵士の自己犠牲が、祖国を救ったのです。
それから約30年、博麻は異国での生活を経て、ようやく新羅使のつてを得て日本への帰還を果たします。
祖国はすでに持統天皇の時代へと移っていました。
この帰国を知った天皇は、深い感動と共に、博麻に高位と財産を与え、次のような勅語を直接授けました。
「朕嘉厥尊朝愛国売己顕忠」
(朕は、朝廷を尊び、国を愛し、己を売ってまで忠を顕したことをうれしく思う)
(『日本書紀』巻第三十、持統天皇4年10月22日条)
この勅語こそが、「愛国」という語の最初の用例であり、天皇が、一般の民に向けて発した最初で最後の勅語とされています。
博麻には、従七位下の位とともに、絹・布・稲・水田などの報奨が与えられました。さらに、彼の子孫三代にわたり、水田の相続と税の免除という厚遇が約束されます。
名もなき一兵士が、自分の命を投げうち、仲間を救い、国を救った。その行為はやがて、時代を超えて語り継がれ、「日本人の愛国心」の象徴となっていきます。
「大切な人たちの未来のために、何ができるか」
歴史の片隅に埋もれていたひとりの男の物語は、今の私たちにも、そんな問いを投げかけている気がします。
参考文献
三浦藤作『大伴部博麻』(1942 童話春秋社) 鶴久二郎『大伴部博麻 : 日本書紀 「尊朝愛国」の名を負う筑後先人』(1973) 「日本で最初に「愛国」という言葉が使われたのは」小名木善行 『ぜんこうのひとりごと』日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
