『べらぼう』の誰袖花魁(福原遥)も経験し悲しい末路を辿る「身請け」そのシステムと掛かった金額は?

吉原をはじめとする遊郭で働く遊女たちは、病気などで死なない限り、年季が明ける前にそこから出る事は原則としてできませんでした。
「足抜け」つまり脱走した遊女には、あの新選組のように切腹を言い渡されるほどではなかったものの、厳しい「お仕置き」が待っていました。
燻し責め、くすぐり責め…江戸時代の遊郭で遊女たちに行っていたキツいお仕置き!?これには、他の遊女たちへの「逃げ出したらどうなるか」という「見せしめ」の意味があったことは、言うまでもありません。しかしそんな遊女たちにも、年季明け前に遊郭を出て、自由になる方法が1つだけありました。
それは馴染み客から「身請け」をされる場合です。

NHK大河ドラマ「べらぼう」第10話「『青楼美人』の見る夢は」で、鳥山検校(市原隼人)への身請けを決めた瀬川花魁(小芝風花)。そして大文字屋の花魁として登場している誰袖花魁(たがそでおいらん/福原遥)も、後に身請けを決め、吉原を去ることとなります。
※誰袖花魁のその後↓
大河『べらぼう』身請け後、横領事件に巻き込まれ…実在した花魁「誰袖(福原遥)」が辿った光と影【後編】「身請け」という言葉は、歴史・文化としての吉原に詳しくなくても、時代劇などで耳にしたことのある方も多いでしょう。しかしそのシステムや手順については、あまりよく知らない方が多いのではないでしょうか?
「身請け」のシステムとは?
遊女の多くは、貧しい農家などから身代金のかたに売られてきた娘でした。売られたときの身代金はそのまま遊女たちの「借金」となっていたため、彼女たちはそれを妓楼で働いて返さなければなりません。
ところが、借金には「利息」がつきもの。
さらに遊女たちの布団や装飾品などの必要経費も彼女たち自身の「借金」に加わっていったため「大人気の花魁であっても年季が明ける前に借金を返し終わるのは不可能」と言われていました。
そんな遊女の借金と身代金を馴染みの男性客が全て支払い、遊女の仕事を辞めさせて身柄を引き受けることを「身請け」といいます。
身請けしたい遊女がいる場合、男性客はまず妓楼の主にそのことを相談します。主からの許しが出ると、客は遊女の借金と身代金を支払いました。
身請けされた遊女の多くはその男性客の愛人となりましたが、読み書き・そろばんができる遊女の場合は地方の商人の妻となることもあったといいます。
身請けにかかる金額はどのくらい?さて、遊女のランクにもよりますが、最高位の花魁(呼出)ともなると、1晩遊ぶ揚代だけで1両1分(約10万円〜)とかなりの金額でした。
そんな遊女を身請けするとなると、途方もないお金がかかったであろうことは、容易に想像できますよね。
一説によると、大人気を博した2代目高尾太夫を身請けした仙台藩主・伊達綱宗は、彼女の体重(衣装・装飾品も含む)と同じ重さの金を支払ったと伝わっています。現代の金額にしたら、数千万円〜億単位にも相当するでしょう。

またそこまでランクの高くない遊女の身請けをする場合でも、40〜50両(約160〜200万円)はかかりました。
遊女の身請けが一般の男性にはなかなかできず、ほとんど豪商や大金持ちの男性によってなされていたのも、この金額を見れば納得ですね。
なお「べらぼう」に登場していた瀬川は、鳥山検校に1400両で身請けされ、誰袖は、田沼沖次の家臣で勘定組頭の旗本の土山宗次郎に、史実、1200両で身請けされます。
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