幻の天皇!わずか4歳で即位し在位は歴代最短の78日、歴史に消された「仲恭天皇」の正体とは?

歴代天皇の中で、もっとも在位期間が短かった人物をご存じでしょうか。
その名は仲恭(ちゅうきょう)天皇。わずか78日間だけ天皇の位にあった、“幻の天皇”とも呼ばれる存在です。

仲恭天皇が誕生したのは、1218年のことです。父は第84代・順徳天皇、母は摂関家の九条家に生まれた立子という姫君でした。血筋も期待も申し分なく、生後わずか1か月で皇太子に立てられるという、きわめて異例の扱いを受けています。
ところが、彼の人生はわずか4歳のときに大きく揺らぎます。1221年、祖父・後鳥羽上皇と父・順徳天皇が、鎌倉幕府に対して兵を挙げた「承久の乱」が起こりました。朝廷と幕府の力が激しくぶつかったこの戦いは、幕府側の圧勝に終わり、後鳥羽上皇は隠岐へ、順徳上皇は佐渡へと流されました。
※参考↓
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のクライマックス!承久の乱はなぜ起きたのか?この政変のさなか、懐成親王(のちの仲恭天皇)は、父から譲位されるかたちで即位します。当時わずか4歳の子どもでした。とはいえ、即位式や大嘗祭などの儀式は行われず、実際には何の政治的権限も与えられなかったようです。
そして、在位からわずか78日後、幕府の意向により廃位されてしまいます。皇位は後堀河天皇に移され、仲恭天皇は天皇としての立場も、その名も歴史の中で曖昧なままとなってしまいました。
その後、彼は母の実家である九条家に引き取られ、政治の世界からは完全に離れたまま、17歳で静かに亡くなります。その短い人生のあいだに、何らかの功績を残した記録はありません。しばらくのあいだ、彼は「九条廃帝」「承久の廃帝」といった名で呼ばれていました。天皇として正式な名を持たない、きわめて異例の存在だったのです。
仲恭天皇に正式な諡号(しごう)が与えられたのは、それから約650年後の明治時代に入ってからのことでした。明治政府は、歴代天皇の再評価を進めるなかで、仲恭天皇にも「仲恭」という名を追贈します。「仲」は第三皇子であること、「恭」は敬意を表す言葉として選ばれたとされています。
政治の表舞台には一切立たず、何も語ることのないまま静かに人生を終えた天皇。ですが、だからこそ、彼の存在はとても深く、私たちに問いかけてくるものがあります。
【参考文献】
慈円「貞応三年正月願文」(『鎌倉遺文』第3202号) 齋藤與治郎編 『皇国紀元二千六百年史』(1937 明治天皇聖徳奉讃会) 肥後和男 編『歴代天皇紀』(1972 秋田書店) 外池昇『事典陵墓参考地―もうひとつの天皇陵』(2005 吉川弘文館)日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan