「源氏の祖」とも言われる源満仲 〜”密告”でのし上がった武将の実像に迫る
「源氏」は、日本史を習った方はもちろん、それほど日本史に興味がない方でも知っている単語でしょう。歴史上「源」がつく人物は数多くいますよね。
そのなかで、今回の記事では「源氏の祖」とも言われる平安時代の武将・源満仲(みなもとのみつなか)にフォーカスしてご紹介していきたいと思います。
源満仲 菊池容斎画『前賢故実』より(出典:Wikipedia)
彼自身の名前は聞いたことがない方も多いかもしれませんが、彼の息子は有名人であり、また彼の刀は非常に有名な人とかかわりがあるなど、とても興味深い人物です。
源満仲とは源満仲は、912年(延喜12年)に京都で生まれました。926年(延長4年)15歳のときに元服し、満仲という名前を名乗るようになりました。
彼の名前が資料に初めて登場するのは、960年(天徳4年)に平将門の子が入京したという噂があり、検非違使や大蔵春実らと一緒に捜索を命じられた武士の一人として現れた、という事象です。
密告を通じて、中央での地位を確立969年(安和2年)に「安和の変」(あんなのへん)が起こります。これは、藤原氏による他氏排斥事件のひとつなのですが、これに大きく関わっていたのが、源満仲です。
藤原氏、全盛期への足がかり……平安時代に起きた他氏排斥事件「安和の変(あんなのへん)」とは?源満仲は、藤原氏の侍として仕えていましたが、彼は藤原師尹(ふじわらのもろただ)に対して、橘重延(たちばなのしげのぶ)と源連(みなもとのつらね)の謀反を密告したのです。
橘重延と源連は逮捕され、朝廷は最終的に左大臣・源高明も加担していると判断し、九州に左遷しました。これをきっかけに、源満仲は恩賞として「正五位下」(しょうごいのげ)に昇進しています。
摂津国・越後国・越前国・伊予国・陸奥国などの受領を歴任し、莫大な富を築いていきます。
武士団の形成多くの富を得た源満仲は、周囲からの反感も買っていました。973年(天延元年)には、左京一条にあった自邸を武装集団によって襲撃、放火されるという事件が起きました。
こうした事件もあり、彼は武士団の形成していきます。警護などを担当した武士団は、鎌倉時代以降にもつながっていく存在となりました。
源満仲とその子孫源満仲の子どもには、有名な「源頼光」がいます。頼光は、頼光四天王をたずさえて大江山の酒呑童子を退治したという伝説で知られますが、そのときに使われた宝刀「鬼切丸」は、現在でも多田神社の宝物殿に納められています。
また、彼の三男「頼信」の子孫には、「源頼朝」がいます。
源満仲が愛した刀源満仲が愛した刀に、「髭切(ひげきり)」と「膝丸(ひざまる)」があります。彼は、自分が納得できる刀が手に入らず悩んでおり、刀鍛冶に依頼します。
刀鍛冶が八幡宮で祈願したところ、「鉄を60日間かけて鍛え、太刀を2振作るように」とお告げを受けます。そのとおりに作った刀がまさに髭切と膝丸なのです。これらは、「源氏の宝刀」とも称されています。
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